人の手は偉大だ。
困っている者へ手を差し伸べたり、
命と命を繋ぎ合わせたり。
下半身をまさぐって自分を慰めたりも出来る。
生きるって、心の中に生じたものをありのままにシンプルに表現すること。
人間とのコミュニケーションで生じる、感情や記憶。
それは時に私の心をじんわりとあたためてくれることもあれば、ヒリヒリと削り取るように剥き出しにする時もある。
都合の良いことだけ選択できたら良いけれど、人間である以上、そんな夢や希望は叶えられるはずもない。
ならば、神に赦しを乞うて、記憶や感情から解き放たれたい。
そう思う時もある。
人間の創造した神々は、記憶や感情を解き放つ力を、持っていると聞く。
しかし、私たちは神にすがりつかねば、生きていくこともままならない、哀れな存在なのだろうか?
私の中に生じた感情を色に、記憶を形にして、手のひらの上で刻んだり、結んだりしていくと、それは私が今まで見てきた人間になる。
色をどれだけ変えても、形を変えたとしても、出来上がってくるものは人間そのものだ。
私という人間が創造するアートには、記憶や感情を解き放つ何かが宿っているのだろうか?
そして、アートとは神であり、哀れな人々に手を差し伸べる道具、なんだろうか?
私の手から生じる色や形には残念ながら、神のように感情や記憶を解き放つエネルギーは宿っていない。
出来上がったアートは私が見慣れた、うんざりするほど美しい人間そのものだからだ。
今日も私は人間と向き合っている。
そして、自分の手に問うてみる。
一体何が創造したいのか、と。
thank you for today
good bye