秋も折り返し。
乾燥した冷たい朝の空気はとても気持ち良いけど、肺の弱い私は気付くと心身共にカピカピになっていたりする。
白湯飲んだり果物食べたり、秋を迎えるために地道な努力は色々したけど、私たち人間は大気に包まれて絶えず呼吸をして身体中に空気を循環させている。
だから、急に態度を変えたように秋がやってくると人間には為す術は無い。
本当に困るわ‥
陽気がだんだんと大地に収まり、かわりに陰の気が満ちていく。
なんだかメランコリックになって、訳もなく悲しくなったりするのもこの季節ならでは。
不安なのか肌寒いのか、めぐさんの服の中にもぐりこんでおっぱいを必死に吸って眠ってしまうマルちゃん。
その姿がなんとも秋らしくて微笑ましい。
不安になった時に誰もがおっぱいを吸えるわけではない。
「何か代わりになる方法はないかしら?」って思っていると、ジャガイモやカボチャやサツマイモのインスピレーション。
季節の変わり目である土用期間や心身がひどく波打っている時、我が家ではお薬代わりに黄色の食材を使った料理を食べる。
焼き芋とかフライドポテトなどはかなり即効性があるから、家の中がバタバタしている時によくお世話になっている。
先日、お世話になっている生地屋へ行って打ち合わせをしたのだけれど、担当者がペルー出身の日系3世の方で、ペルーはジャガイモの発祥の地だということで盛り上がったばかりだった。
義母にお願いして送っていただいたアンデスレッド。野菜の貯蔵庫があるので長期保存したジャガイモが送られてくることがある。初めてみた時はびっくりした。芽が至る所から出ていて、芋を触るとプヨプヨなのだ。初めは恐る恐る料理したけど、芋の味がとても濃くて再びびっくり。
見た目が悪いので出荷することもなく、一般消費者である私たちがお目にかかることもまずないプヨプヨジャガイモでポテトサラダを作った。
元気の良い時はマヨネーズを少なくしてお酢を効かせたり、卵やハムを無しにしてお野菜の力だけで作ることもある。
今日はたっぷりのマヨネーズとゆで卵とスライスオニオンとハムを入れ、仕上げに鰹節をたっぷり載せて。
私のつまみ食いでどんどんポテサラが無くなっていく。
お腹を満たすために人は食べるのだけど、それだけじゃない別のどこかが満たされていく。
食べるという行為は体の維持だけではなく精神の領域にも大きく関わっている。
そのことを最近すごく感じる。
マルちゃんはお腹を満たした後に母乳が出ないと分かっているおっぱいを吸って自分のバランスを調整していた。
最低限の衣食住が整っていれば人は生きていけるというけれど、きっと人それぞれにおっぱいのようなものも必要なんだと思う。
衣食住乳みたいな。そういう観点で自分をいつもケアしてあげたいなって思う。
女は大地であり陰であるけれど、子供にとっては輝ける天であり陽になる。
お母さんは女性性と男性性が自然に備わっていて、且つ循環している。お母さんの底力はここに尽きるな。
誰もがこの両性を持っているけれどバランスが悪いと循環は起こらない。だからどちらかの性が過剰になって、補うために外側へ目を向けて、結局自分のバランスを見失っていく。
求めるのが悪いことだとは思わないけれど、まずは自分自身を求めてあげたいな。
自分自身とのおしゃべりってすっごい当たり前のことなんだけど、なんでだかすぐに出来なくなってしまう。
だから日々の営みにユニバースの循環を見つけて、私も大地の賜物なのだと気付くことが出来る。
私自身がユニバースの循環の一部。つまりユニバースを流れるエネルギーの川の一部だということに気づくと落ち着くのよね‥
おっぱいパワーの秘密はきっとこの辺りに因るものが大きいんだろうな。
それにしても年がら年中土用な感覚になっているのは私だけなのでしょうか?