身体を洗うシャンプーやボディソープ、トゥースペーストなどの使用をやめて何年か経つ。
もともと肌が敏感でさまざまなものを使っていたのだけど、どれもしっくりこずに探すのも面倒だなと思っていたところ、自分自身のおしゃべりの中でやめてみようということになって。
止めた当時は自動車工場に勤務していたので、身体は相当に汚れていたけど、お湯で洗い流すだけできちんと落ちました。
きっと、人間の皮膚には自然に備わった自浄作用があるんだと思う。
私以外の家族はそれぞれの気に入ったシャンプーやボディソープを使っていますよ。
これと思って使うことの良さもあるので口出しはしないけど、内心「身体とちゃんとおしゃべりしなよ」ってブツブツ呟いています。
もちろん、服や食器を洗うときは私も洗剤を頼りにしていますよ。
心の中にいる私や、人間以外の川や空や大地とおしゃべりしていると、エネルギーがどんどん湧いてくるのを感じる。
そのエネルギーは例えていうなら生きるエネルギーそのもので、誰もが平等に与えられているもの。
きちんと循環させることができれば、木の根がどんどん地中の中に伸びていくように私という人間の存在を尊び、受容し、信頼できるようになる。
反対に、その湧いたエネルギーをほったらかすと私の身体の中で滞り、異臭を放ち、やがて身体と精神を腐らせていく。
彼らとは非言語のコミュニケーションだから、何をいっているのかさっぱりわからない時もあるんですけどね。
感受性の強い自分を心底呪ったこともある。
気付くと、否応なしにさまざまな人達やモノ、植物から動物までが話しかけてくる。
いちいち対応していたら混線状態になって、まともに日常生活が送れなくなる。
そう思って心にシャッターを降ろして、電圧を下げるようにして生きてきたこともあった。
最初は楽なんですよねー。
でも、次第に心の大地に伸ばした根が痩せてきて、生きているのか死んでいるのか分からない感覚になっていく。
この感覚もすっごい気持ちが良い、フワフワして現実社会でのストレスを全く忘れてしまう。
幽体離脱したことはないですけど(多分)、きっとこんな感じだろうなって思います。
自分を尊ぶことをスルーして現実社会で生きていこうとするから、自分を無視して置かれた場所でのルールや価値観を遵守したり、感情をコントロールするために薬に頼ったり、はたまたトラウマを突き止め、挙げ句の果てには過去世を知ろうとする‥
人それぞれのいく通りもの方法が存在していますけど、結局のところどれもがその場しのぎの応急処置にしかならないんじゃないのかな。
肝心なことは湧いてきたエネルギーを、自分の身体を使ってきちんと表現することなので。
感じたことを感じたままに表現する
言いたいことを正直に言って
行きたいところへ足を運ぶ
もちろん、対人関係においてはなかなかハードルが高い‥
今でもムッとされたり、しばらく疎遠になってしまうこともある
高い感受性というアプリを立ち上げようとした時にぶつかる最初の壁がこれかもしれない‥
この壁を越えないと、一生私は繊細で傷つきやすいんだわって嘆きながら生きていくだけになる。
しかし、身体と魂を与えてくれたユニバースは、あなたにそんな人生を送ってほしいとは思っていない。
要は、立ちはだかる壁は越えるために用意されているということ。
自己表現は詩人やアーティストという肩書きを持った人々の特権ではない。
自己を表現することとは雨が降ることであり、風が吹くことであり、光が射すことと同じ。
このどれか一つでも欠けたら、私たちが生きていくことが出来ないのはあきらか。
率先して気づくことが出来る人から自分のエネルギーを流していく。
最初は一滴の滴のように小さくて何の変化も感じられないかもしれない、でも日々やっていくうちにそれが水たまりとなり、沢となり、川の流れを生み、豊穣の海へ辿り着くことを感じることが出来るようになる。
すると、自己表現が祈りと同質のものであり、自分自身にとってもユニバースにとってもかけがえの無い癒しとなるっていうことに気付く。
結局の所、自分を救えるのは自分自身ただ一人だということ。
それは自分だけが良ければいいという利己的な気持ちとは違う。
自分自身を尊び、受け入れ、信頼することで、初めて他者に対しても同じ気持ちを持つことが出来る。
先ずやるべきことは自分自身とのおしゃべりなんだとつくづく思う。
しっかりと根の張った自分は意外とたくましいですよ。
TOTO COFFEEを始めたのは今から3年前の初夏。
コロナフィーバーの中、人々は不安と恐怖に包まれていたけれど、人間以外は何一つ変わることなく日々の営みを行なっていた。
決まった時間にお日様はのぼり、夜も相変わらず毎日訪れた。
おかげで、私は不用意に揺さぶられることもなく、静まり返っていた心の中で自分自身とのおしゃべりを楽しむことが出来た。
そのおしゃべりの中で育まれたエネルギーをひしひしと感じつつ、次にそのエネルギーを必要としている存在がいることも知ってTOTO COFFEEをひらいた。
エネルギーを手放すことの心地よさ。そして与えられることへの感謝。
こんなに心は震えるんだとびっくりしました。
いろいろな方法を試してみたけれど、溢れてくるエネルギーを人為的にコントロールするマニュアルは今の所ない。
その時その時に正しいと思う場所へ立ち、呼吸をしながらエネルギーを手放したり、与えられたり‥
ただそれだけ。
さあ、私の中に生じたエネルギーたちよ。準備は出来たかな。