再びの隔離生活。前回と違い、自覚症状もない子供達は不満を募らせている。
ロックダウンして仕事が休みになった時、我が家にやって来たカタツムリのツンツン。
台所に立って、春の菜の花を水に放した時にくっついているのを見つけた。
何かを飼ったことは一度もなくて、カタツムリに何か特別な感情を持ったことは無い。
長い休みになったところで、心に余裕でもあったのだろうか?
家にあった瓶に菜の花ごと入れてしばらく飼ってみようという話になった。あれから、もう2年半が経とうとしている。
小さな頃からよく脱走していて、その度に家族総出で探し回った。
ある日、こんな小さい瓶の中に住んでいて窮屈なのでは?と思い、外の世界へ戻してあげようと思ったけれど、寂しくなってやめてしまった。
時を同じくして、子供達とのコミュニケーションにも行き詰まっていた。
人間だから、大人だからという立場を利用して傲慢になっているんじゃないか?という疑問は私の心でどんどん膨らんでいった。
少し、自分を省みて、子供達へは小言を控え、ツンツンにはこの家が嫌になればいつでも外へ出て行けるように、ふたを開けたままにすることにした。
不思議なことに、ふたを外して以来、ツンツンが家の外から出たことは一度もない。
そして、そこからツンツンとの言葉の無い対話が生まれたような気がする。
私たちとの暮らしがまんざらでもない事を知ったり。
面倒くさくなったら、殻に閉じこもってしまう性格であることも分かった。
手放すことで与えられるものってなんと偉大なのか。私は改めて知ることとなった。
同じ言語を持つ人間同士でありながら、聞く耳を持つことが出来なかったり、一方的に言葉を投げてしまって意思の疎通が図れないことがある。
コミュニケーションの中で少しでもザラっとしたものを感じたら、なめらかになるまで立ち止まり、耳を澄ませてみたり、見つめてみたり、あらためて言葉を差し出してみたり‥
いつだって、誰とでも美味しいプリンのような関係でいられたら、と思う。
今、我が家は大きなふたで閉じられているような感じでザラザラ、ピリピリ‥
どうする事もできないので、私の持ち合わせている母性を総動員して大学芋を作った。
子供達も不機嫌でブーブー言ってても、美味しいものを食べると静かになる。大きな芋を3本も使ったのに一瞬で目の前から消えた‥
束の間だけど、あの平和な静けさはお母さんにとって何よりのご褒美。
夕ご飯は大学芋を食べ過ぎて、あんまりお腹は空いていないだろうと思い、ついでに作った唐揚げ少々にカブと柿と水菜のサラダ。
カブの葉っぱは大きくて硬そうだったけど、とても柔らかいのでサラダに混ぜた。
大学芋に家のふたを開けてもらった。
ありがとうお芋さん。
それにしても、今日は一日中台所へ立ってたな